出羽三山神社摂社東照宮写真
社 名 出羽三山神社 摂 社
鎮座地 山形県鶴岡市羽黒町手向字手向7 2005/10/01より
旧住所表示 山形県東田川郡羽黒町手向字手向7
御   由   緒 ・ 沿   革
  当社は、山形県東田川郡羽黒町手向に鎮座する出羽三山神社で、鶴岡東照宮とも呼ばれ
ている。
  出羽三山神社は古来、月山・湯殿山・羽黒山の三山の総称で、推古天皇の御代に崇峻天皇
の御子蜂子皇子によって創建され、東北修験の中心地として大いに栄えた。
  東照宮は、正保二年(1645)二月六日、羽黒山中興の祖五十代別当天宥が、将軍に願い
出て羽黒山に勧請した。とりあえず仮殿に安置し、同年五月、鶴岡藩主酒井忠勝が社殿を寄進
建立した。この酒井氏は徳川四天王の一人忠次の系統で、忠勝は忠次の孫。元和八年出羽鶴
岡に移封され、十三万八千石を領した。貞享二年(1685)には、藩主忠真が東照宮の社殿を
改築したと伝えられるが、棟札によれば、その五年後の元禄三年に再造していることになる。寛
延四年にも藩主忠寄が修理を行っている。
  代々藩主の崇敬は厚く、慶安二年には藩主忠当が、万治三年と寛文四年には忠義が参拝し
ている。このときは総供人数は三百余人であったと伝えられる。東照宮の例祭は、現在五月十
七日に行われているが、この日、立川町瀬場から代参がたち、山菜などを献供して二名が参拝
している。瀬場は、江戸時代には幕府の許可を得て砂金掘りをしていた所で、同所には「昔駿
府の日陰沢で先祖が採掘をしていたとき、戦いに破れてきた家康公を匿ったところ、家康公は
恩に報いるために、日本国中の鉱山採掘を認める朱印状を与えた」との伝承がある。
(家康公と全国の東照宮 高藤晴俊 著より)

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