出羽三山神社摂社東照宮写真
社 名 出羽三山神社 境内摂社
鎮座地 山形県鶴岡市羽黒町手向字手向7
由  緒 ・ 沿  革
 当社は、山形県東田川郡羽黒町手向に鎮座する出羽三山神社で、鶴岡東照宮とも呼ばれている。
 出羽三山神社は古来、月山・湯殿山・羽黒山の三山の総称で、推古天皇の御代に崇峻天皇の御子蜂子皇子によって創建され、東北修験の中心地として大いに栄えた。
 東照宮は、正保2年(1645)2月6日、羽黒山中興の祖50代別当天宥が、将軍に願い出て羽黒山に勧請した。とりあえず仮殿に安置し、同年五月、鶴岡藩主酒井忠勝が社殿を寄進建立した。この酒井氏は徳川四天王の一人忠次の系統で、忠勝は忠次の孫。元和八年出羽鶴岡に移封され、13万8千石を領した。貞享2年(1685)には、藩主忠真が東照宮の社殿を改築したと伝えられるが、棟札によれば、その5年後の元禄3年に再造していることになる。寛延4年にも藩主忠寄が修理を行っている。
 代々藩主の崇敬は厚く、慶安2年には藩主忠当が、万治3年と寛文4年には忠義が参拝している。このときは総供人数は三百余人であったと伝えられる。東照宮の例祭は、現在5月17日に行われているが、この日、立川町瀬場から代参がたち、山菜などを献供して2名が参拝している。瀬場は、江戸時代には幕府の許可を得て砂金掘りをしていた所で、同所には「昔駿府の日陰沢で先祖が採掘をしていたとき、戦いに破れてきた家康公を匿ったところ、家康公は恩に報いるために、日本国中の鉱山採掘を認める朱印状を与えた」との伝承がある。
(家康公と全国の東照宮 高藤晴俊 著より)

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