社 名 漢国神社 境内末社
鎮座地 奈良県奈良市漢国町
御   由   緒 ・ 沿   革
 奈良市漢国町に鎮座する漢国神社は、推古天皇元年(593)大神君白提が勅によって園神(大物主命)の神霊を祀ったのに始まり、その後養老元年(717)藤原不比等がさらに韓神(大己貴命・少彦名命)の二座を相殿の神として祀ったと伝えられ、古くは率川坂神社と称した。一般には境内にある饅頭の神様・林神社が祀られていることでよく知られている。
 慶長年間、家康公は法蓮町(現奈良市内)に田地五反余を寄進して、社殿の修理を加えたと伝えられる。慶長十九年(1614)大阪冬の陣の折には、十一月十五日に奈良奉行中坊秀政の屋敷に宿泊された家康公は、翌十六日、岩井与左衛門の屋敷で休憩したあと、漢国神社に参拝した。その後再び岩井の屋敷で休憩し、法隆寺に向かっている。同神社の記録にはこのとき具足を奉納して拝礼したが、兜が落ちてしまったので、兜は持ち帰ったとある。
 上の岩井氏は、早くから家康公に起用された具足師で、大阪の陣に使用された「羊歯具足」をはじめ、多くの召料を製作している。漢国神社に奉納された鎧もこの岩井氏の作で、現在も同神社境内の鎧蔵に納められている。これらの由緒をもって、漢国神社の境内に東照宮が勧請されたものと思われる。
 東照宮は葵神社と称し、本社の北西にある。春日造の木造小祠で丹塗り。五十センチほどの台座の上に建ち、屋根は瓦葺。勧請・建立の年代は不明である。
(家康公と全国の東照宮 高藤晴俊著より)

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