奥平松平忠明家分家・忠尚家 初代奥平松平忠明家・忠明の養子忠尚を祖とする家
年     号 当  主 藩     名 石         高 領  地(現 在 地)
元禄元年/1688 忠尚 陸奥白河新田藩 20,000 石 福島県白河市 
元禄13年/1700       陸奥桑折藩 20,000 石 福島県伊達郡
延享4年/1747 忠恒 上野篠塚藩 12,200 石 群馬県邑楽群
寛延元年/1748       上野里見藩 20,000 石 群馬県群馬郡
明和5年/1768       上野小幡藩 20,000 石 群馬県甘楽郡
   以降明治維新まで
当  主 出 自(実 父 ・ 嫡 出 関 係) 法(諡)名 埋   葬   地 備     考
松平氏と改姓  
忠尚 8代大給松平家・乗久の長男 聞修院 弘福寺     
忠暁 9代大給松平家・乗春の5男 高松院 弘福寺     
忠恒 2代奥平松平忠尚家・忠暁の2男 大謙院 弘福寺     
忠福 3代奥平松平忠尚家・忠恒の長男   弘福寺     
忠恵 奥平松平忠尚家・忠房の長男   弘福寺     
忠恕 5代奥平松平忠尚家・忠恵の5男   弘福寺     
忠視         間部詮勝の10男         
忠相                  
銑之助                  
忠泰                  
歴代藩主墓所へ
寺           名 所       在       地 宗        派
弘福寺 東京都墨田区向島5-3-2 黄檗宗

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