| 櫻井神社 | 兵庫県尼崎市南城内116−11 |
| 御 由 緒 ・ 沿 革 | |
| 当神社は、明治十五年、尼崎城内に建立されました。 当社御祭神櫻井家の祖、初代信定公は、その勢力安定に尽力されました。 戦国の世のならいで、七代目忠頼公が若死されましたが、八代目忠重公の血のにじむような努力 と、徳川家康公のはからいでお家再興がかないました。 十代目忠喬公の御代、遠州掛川より尼崎城に移ってこられました。 即ち、尼崎初代の殿様です。 代々の城主は、文学、芸能にすぐれ中でも尼崎三代目城主忠告公は、亀文と号して、多くの句を 読まれ、その内の一句は、境内の石柱に刻まれております。「まづ霞む 竈々や民の春」亀文最 後の城主忠興公は、西南戦争(1877)において敵味方の区別なく、戦傷者を看護され、博愛の 精神を大いに発揮されました。 これが世界赤十字社に認められ、日本赤十字社の誕生を見るに至りました。又、学問向上にも全 力を傾注され、明治六年、尼崎最初の学校を建立されました。(現 開明小学校) この精神は市民にも引き継がれ、明治二十三年、櫻井神社境内に尼崎最初の幼 稚園が誕生しました。(現 博愛幼稚園)この時、子供たちの無事成長を願って建てられたのが、 神社境内に現存する博愛地蔵です。(由緒書より) |
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