南湖神社 福島県白河市字菅生館2番地
御   由   緒 ・ 沿   革
  元県社、南湖神社は、東北地方の南端、白河市、旧白河城の南、史跡名勝南湖公園内の北岸に
鎮座し、御祭神は日本の名君、東洋の偉人として敬仰せられて居ります白河楽翁公、即ち松平定信
公であります。
  公は徳川8代将軍将軍吉宗公の御孫に当り、御父は国学者として名高い田安宗武卿であります。
吉宗公の創立された将軍家世継の為の御三卿の一、田安家の御生れで、将軍になるべき御家柄で
あります。公は十七才の時は、奥州白河城主松平越中守定邦公の養子に定められ、十九才で公の
一人娘峯子姫と結婚し、二十六才の天明三年(西暦1783)御父定邦公御病気の為城主となられ、
折しも東北地方大飢饉の折でしたので、非常な御苦心の下に善政をしかれ、一人の餓死者も出さぬ
という立派な政治をなされたのであります。
  十代将軍家治公が世継がなかったので、一橋家より家斉公が十一代将軍となり楽翁公は幼少の
将軍輔佐のため選ばれて三十才で老中の首座、今の内閣総理大臣の重職を受け天下の政治を行
ない、史上有名な「寛政の治」という立派な政治を成し遂げたのであります。
  三十七才で、老中首座を辞し再び白河城主に戻られ、藩政に専念せられ、四十四才の時享和元年
(西暦1801)に五つの目的を以て、わが国最古にして最初の当南湖公園を創設せられたのでありま
す。公は五十五才で御子定永公に城主を譲られ、白河藩の下屋敷、江戸築地浴恩園に移居にられ、
楽翁と号して専ら文筆に親しまれ政治、経済、文学、各般にわたる著書を多数遣され、その功績は筆
舌につくせません
  文政十二年(西暦1829)五月十三日、御年七十二才で薨去せられました。当神社は初代宮司中
目瑞男の首唱に依り、公の偉大な御遺徳を敬慕する白河市民を始め、各地の崇敬者の熱烈な至誠と
当時のわが国財界の巨頭子爵渋沢栄一閣下の御尽力に依り、大正九年五月十日内務大臣より神社
設立が認可せられ、直に神殿の新築に着工し大正十一年六月十一日竣工、御鎮座大祭が執行にら
れて今日に及んで居ります。
  境内面積山林共約壱万坪を数え、近年、交通安全、除災開運、商売繁盛、学問(進学)、政治並に、
縁結びの御霊験あらたかな守護神として、参拝者は年と共に増加の一途をたどっています。境内には
公の遺愛の茶室、松風亭羅月庵(市重要文化財)又南湖神社宝物館があり、任意拝観が出来ます。
  毎年五月には白河茶道連盟の茶道大会が催され、まれにみる盛況であります。(由緒書より)



戻る