和歌山東照宮写真
社 名 和 歌 山 東 照 宮
鎮座地 和歌山県和歌山市和歌浦西2-1-20
祭 神 徳川頼宣公
由  緒 ・ 沿  革 
 元和七年(1621)南海道の総鎮護として、紀州藩祖徳川頼宣公によって創建された。約四百年の昔である。この時、藩主は、親しく指揮をとり、造営奉行として、安藤帯刀直次、彦坂九兵光正を任命し、石組などは、士分以上のものに運ばせた。これは、源頼朝が鶴岡八幡宮造営の古例にならったものである。慈眼大師天海大僧正が江戸から衆僧六十余人を率い、自らは大導師となって、天台神道による御鎮座の式典を斎行した。勅使として、中御門大納言資胤、広橋宰相兼賢の二卿が下向している。初代別当は、天海がなった。爾来五十年の年忌毎に、根本修理、十年、十五年の彩色修理など今に継続せられ、御創建当時の姿が維持されているこの社殿の結構を「権現造り」又は「石の間造り」といって、桃山時代の遺風をうけた江戸初期の代表的な重要文化財建造物である。漆塗り、極彩色の精巧な彫刻、狩野、土佐両派の絵によって荘厳された豪華さは、まさに関西日光の名に恥ぢない左甚五郎の彫刻の多いのも天下稀有であるが、楼門の朱塗り極彩色は、天下唯一という。武具類、陶器、絵画などの宝物は、枚挙に遑ないが、重要文化財の刀剣、衣料など十七点の秘蔵も、また有名である。むかし、霊域方八丁、宮山周囲二十五丁の広大な境域は、内外各六坊を持つ和歌山天曜寺雲蓋院を別当寺として、その偉容は、天下比なしと云われた。非常時には和歌山城の南出城として、戦略的重要性が考えられ、平時は、思想統一の精神訓練の場となったと思われる。(由緒書より) 

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